@chang_umeです。前々回・前回と、現代の地図・地形図と近世の古地図を重ね合わせながら、聚楽第周辺の微地形(崖・凹地)を探索しました。みんなだいすき聚楽第シリーズも今回で第3弾ということで、引き続き、まちなかの「崖」の奇妙な存在感を味わいつつ、高低差が生まれた背景について考えたいと思っています。
京都市上京区の「西陣」と呼ばれるエリアのなかに、今回ご紹介の「崖」は忽然と姿を現します。一般的には聚楽第の「堀遺構」と見られているのですが、果たしてどうなのか。現地で確認しながら、地図からも検討していきましょう。
●写真:今回ご紹介の「崖」は不思議な高低差
西陣は意外と高低差が多い
京都市の北部、「西陣」と呼ばれるエリアは西陣織などの伝統産業が昔から盛んで、今も古い町家が集まっています。一見すると平坦なエリアですが、現地を注意深く歩くと意外と凸凹地形が集まっていることが分かります。
元々このエリアが北から南へと傾斜している上に、平安京(平安宮)や聚楽第のような造営事業によって「ひな壇」状の大規模な地形改変が行われた結果でしょうか。