@chang_umeです。今回からは「みんなだいすき聚楽第」に関連しそうな高低差について探索したいと思います。
聚楽第はシリーズ化を予定していまして、今回は地図上の平面で把握する内容で次回以降、実際に現地で聚楽第の遺構を確認する内容です。
シリーズのうち、どちらからでも読んでいただいて結構ですが、「地図が好きだ!好きなんだ!」という方は、ぜひ今回の記事からじっくりご覧いただけたらうれしいです。
早速だけど、聚楽第って何?
聚楽第とは、豊臣秀吉が政権の政庁として京都の中心地(かつての平安宮の区画内、現在の京都市上京区)に築いた城郭です。天守と御殿群、さらには高石垣と広大な堀を備えた本格的な城でしたが、天正15年(1587)に完成後、秀吉甥の秀次失脚(秀次事件)に伴い文禄4年(1595)に廃城となり破却されました。10年に満たない期間で廃城となったため、「まぼろしの城」として知名度も高いようです。
聚楽第は、天正14年(1586)豊臣秀吉が平安宮内裏の跡地に築かせた城郭です。後陽成天皇の行幸を迎え、諸大名に天皇と天皇の代理である関白秀吉に忠誠を誓わるという一大イベントが行われた舞台となりました。甥の秀次に関白を譲ってからは秀次の居城となりましたが、文禄4年(1595)の豊臣秀次の失脚後、秀吉の命により破却されました。9年間という短い期間でしたが、京都における豊臣政権の中心として存在しました。聚楽第を歩く1(平安京探偵団)