京都盆地の基盤岩: 露頭する岩石、磐座信仰
@chang_umeです。僕らの大地は岩でできています。地表下にあるこの基盤層となる岩を基盤岩と呼びますが、京都盆地の場合は、断層を境とした沈降作用で生まれた凹面状の地形(構造盆地)であるため、基盤岩はずいぶんと深い位置に横たわっています。
京都盆地は基本的に南から北に向かって標高が上がっていきますが、基盤岩の深さも地表面の傾斜に比例して南北で差がとても大きくなっています。
したがって北に向かうほど、基盤岩までの深度が小さくなるわけで、たとえば基盤岩の地表からの深度は北部・洛中の市街地で地下約200〜300m、南部・低地の旧巨椋池付近で地下約800mほどの深さとなるのです。ずいぶんと深い位置に基盤岩は横たわっていることが分かります。
● 図:重力探査から推定された基盤岩深度分布*2
岩倉は基盤岩の宝庫!
南北で基盤岩の深度が異なるとして、京都盆地の最北、つまり最も標高が高い位置にある岩倉地域ではどうでしょうか。
● 地図:京都盆地最北の岩倉
岩倉地域では京都盆地の最北端にあるため、南部に比べると基盤岩は非常に浅い位置にあります。ですから基盤岩は地表に露出している状態(露頭)が多くなり、たとえば砂岩・チャート・頁岩といった京都盆地の代表的な基盤岩の露頭を、岩倉地域の各所で見ることができます。
● 馬頭観音峠・旧美土呂坂の頁岩露頭(京都市街地と岩倉地域の境界線)
おそらく、更新世の海進が岩倉までは及ばず、京都盆地の大半が水面下だった頃の「大阪層群」の堆積が岩倉地域は南部に比べて薄かったのでしょうか。ですから、岩倉地域に行けばあちこちで京都盆地の基盤岩が露頭しているのです。
たとえば、岩倉地域の中心部を南北に流れる岩倉川の河床には、大きなサイズの基盤岩(チャート・頁岩)が地表に出現しています。
● 写真:岩倉川河床の基盤岩露頭(右手前がチャート、左奥が頁岩)
また、岩倉川付近の民家石垣をよく観察すると含まれる岩石の種類が興味深くて、割合としては砂岩が最も多く、次いでチャート、頁岩の順。鴨川水系河床の礫種構成と同一となっています。
● 写真:岩倉川近くの古民家石垣
つまり民家石垣に含まれる岩石はおそらく、岩倉川(鴨川水系)から基盤岩由来の川原石を採集したものだろうと推測できるのです。
どれも何気ない岩石ですが、いずれも古生代~中生代(恐竜時代!)の堆積によって生まれたものです。形成は数億年以上も昔の時期。こう考えると、ふだん何気なく目にする石や岩が俄然光り輝いて見えますね。
基盤岩の神域化!?
さらに岩倉(イワクラ)といえば、やはり「磐座」(イワクラ)の存在でしょうか。そのまま、岩倉という地名の由来ともなっています。たとえば、有名な山住神社のご神体(磐座)は巨大なチャートの岩だったりします。基盤岩自体がご神体になっているのです。
● 写真:山住神社
● 地図:山住神社(岩倉地域の山間部と平地部の境界上に鎮座しています)
京都の岩倉でも顕著ですが、日本列島ではこのような「岩信仰」とでもいいますか、基盤岩が聖別された存在(磐座=依代、ご神体)として神域化される例が大変多いです。京都だと「イワクラ」「イワガミ」といった名称で、盆地内の平坦部(市街地)でも各所でご神体化していますね。
末刀岩上神社と西陣岩上祠のご神体は、両者とも基盤岩由来の岩石(チャート)です。すなわち、京都盆地の基盤自体が信仰対象になっているともいえるわけです。
このあたり、「基盤岩信仰」というジャンルを想起させるような面白さがありますね。地質と信仰が交差する景色とでもいいましょうか。人間の文化とは、ヒトと自然の相互交渉の賜物とつくづく感じさせてくれます。
ではでは。
日々の生活に岩石を。(梅)