京都高低差崖会

京都高低差崖会は京都の凸凹地形を探索しています。平地ではいられなかった、高低差が生まれてしまった、京都ならではの「まちの物語」「土地の記憶」を読み解いていきます!

カシミール3Dで見る京都駅周辺

今回は「カシミール3D」という、標高データを元にして地形を立体的に表現できるソフトを使い京都駅周辺を見てみました。

新たな目線で京都駅周辺を見ることが出来たと思います。

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緑色の枠 東海道線に飛びかかる勢いの高低差

京都駅周辺の中でも大変大きな土地の高まりに分類されます。これは現在の高倉跨線橋と、すぐ西に接している明治34年に建設された旧高倉跨線橋の遺構が作り出した高低差と考えられます。下の「高倉通附換工事平靣圖」に記載されている新旧の高倉跨線橋を現在の地図に重ねてみると、良く分かります。

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●オレンジ色の線は御土居想定ライン
東海道線新線上の左側が旧高倉跨線橋、右側が新高倉跨線橋

赤色の枠 旧東海道線の盛土跡

枠内右側に 「 を左右反転したような形の高まりが見られます。これはオムロン本社が建っている場所に見られる明治期に敷設された東海道線線路の為に盛土された跡による高低差です。この明治期の東海道線は大正3年に現在の場所へ付け替えられた際に廃線となっています。

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オムロン本社南側から撮影

今回新たにもう一カ所、旧線の盛土跡による小さな土地の高まりをカシミール3Dによって確認することが出来ました。枠の中、左上の黄色でくっきりと見えているのがそうです。

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志水町を航空写真で見た際、ピンク色で示しているカ所がそれに当たります。ここの旧東海道廃線跡が区画として残っているのはよく知られているのですが、土地の高まりとして残っているのを確認出来たのは今回が初めてです。

参考として下に旧東海道線(想定ライン)を現代地図に重ねたものを載せておきます。

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今度は京都市明細図に照らし合わせてみました。大正、昭和、平成と区画の大きな変化はないようです。

この場所に旧線の盛土による土地の高まりがぽつんと残っている理由としては、廃線後早い時期に家屋を建設した為と考えられます。同じく廃線跡を利用している梅逕中学校は大正9年に土地を購入していますが、土地の高まりは殆ど残っていません。もしかしたら学校用地をする為に、基底部まで削ってしまったのかもしれません。

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旧東海道線跡地が現在でも区画と標高データとして確認出来ることが分かりました。

ただ、残念なことは現地で高低差を確認できなかったことです。研究課題の一つとして今後も探索していきたいと思います。

青色の枠 2本の線路

この枠内に見られる土地の高まりは上が山陰線、下が東海道線です。

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●大正2年7月発行『京都市街全圖』では、旧線(黒色)と新線(赤色)が記されている

両線とも大正時代に新線が敷設され、その際に盛土をしています。盛土の一部は桂川の土が使われたとの記録が残っています。

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●手前が山陰線、奥の電車が通過しているのが東海道線

写真でも高低差をはっきりと確認することが出来ます。また、実際に目にしている感覚よりも標高データ上では高低差が大きいことも分かりました。

カシミール3Dによって今まで気付かなかった微妙な高低差が浮かび上がり、大変興味深い発見がありました。

京都は自然が作り出した高低差、自然地形が多く見られる大変面白い都市ですが、今回の京都駅周辺のように百年以上前の人口地形が醸し出す土地の景観を追ってゆくのもなかなか面白いのではないかと思います。(北川)

参考
京都市明細図」京都府立総合資料館
京都市街全図(複製)」大阪毎日新聞社

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