御土居 on the 断層:地形が波打つ理由
天正19年(1591)、豊臣秀吉による京都の都市改造の一環として、京都を取り囲む城壁(惣構)が築造されました。「御土居」と呼ばれるその城壁は、土塁と堀から構成されていて全長は約23km。日本各地の惣構の中でも最大規模となっています。
凸凹に波打つ御土居 !?
今でも京都市北部を中心に、御土居は姿を遺構に留めているのですが、とりわけ京都市北区大宮土居町に残る御土居(大宮御土居)は保存状況が非常に良くてお気に入りです。人工地形の高低差として、京都市内でも最も雄大な眺めでしょう。
● 写真:京都市北区大宮土居町の御土居(左側・土塁、右側・堀)
● 地図:大宮御土居の位置
この大宮御土居を踏査した際、東側(市街地側)に向かうにつれて「土塁が波打つように傾斜する形状」に興味を抱きました。御土居の土塁部分が「ラクダのコブ」のように波打って延びているのです。
● 写真:波打つ御土居の土塁
一体、どんな事情で御土居がこのような凸凹形状になったのでしょうか?
日々の疑問でした。
そして調べてみました。
答えは「断層」だった!
実はこの大宮御土居は、断層の上をまたぐように築造されていました。「ラクダのコブ」のような凸凹の土塁形状は、御土居が断層によって生じた崖(断層崖)を途中で通過することによって生じたものでした。これはビックリです。
具体的には、御土居がまたいでいる断層を「西賀茂断層」といいます*1。
● 西賀茂断層: 鴨川山幸橋(京産大グラウンド北側)~紫野高校まで、約5kmにわたって南北方向に延びる直線的な崖。大宮御土居(バス停「玄琢下」)から玄琢に向かう急坂(市バス4系統)が、西賀茂断層の断層崖に相当します。
またさらに、大宮御土居のすぐ脇にある招善寺の南からは、鷹ヶ峰台地を斜めに横切るように延びる高低差(崖)もあります。これも要注目で、西賀茂断層の形成過程で生じた地表面の撓み(たわみ)である「西野山撓曲(とうきょく)」の撓曲崖でした。
御土居・断層崖・撓曲崖と、京都盆地の北西部は崖だらけです。
まさに高低差の楽園といえましょう。
これまで現地を歩きながら、大宮~鷹ヶ峰周辺はとりわけ起伏の激しい凸凹地形だなと思っていましたが、地形形成のここまで巨大な力が働いていたとは……。
ダイナミックな京都盆地
大宮~鷹ヶ峰を含む京都盆地の西側は、鴨川方向(東方向)への沈降と西山方向(西方向)への隆起によって、数十万年以上にわたって地形形成の力が作用しています。まさしく列島規模の地殻変動の一端が、京都盆地を形作っているわけです。
そして、このような自然地形の上に、歴史時代に入ってからまたさらに御土居のような大規模な人工地形が作り出されているのでした。結果として、凸凹形状の御土居が生まれてしまったと。
このような驚きと発見を、日常のなかで感じさせてくれる御土居と地球に感謝!ありがとう高低差!「御土居 on the 断層」とはすなわち、「高低差 on the 高低差」なのでした。地形が面白くなるわけです。
またさらに京都高低差崖会にて、「西賀茂断層」「西野山撓曲」「鷹ヶ峰台地」の一帯をフィールドワークしたいですね!断層や河川浸食によるダイナミックな地形変動に加えて、大阪層群~沖積層の露頭も各所で観察できるエリアです。いずれぜひ。(梅)