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京都高低差崖会

京都高低差崖会は京都の凸凹地形を探索しています。平地ではいられなかった、高低差が生まれてしまった、京都ならではの「まちの物語」「土地の記憶」を読み解いていきます!

聚楽第を探し歩く02:崖とゆるやかな坂道

京都市上京区 聚楽第シリーズ 洛中絵図

@chang_umeです。今回は聚楽第シリーズの第2弾の内容です。前回は現代と近世の地図を重ね合わせながら、聚楽第の位置関係や気になる高低差(崖・凹地)を地図上から確認する内容でした。

前回から引き続いて今回は、「みんなだいすき聚楽第」を現代の市街地に探し求める実地編です。実際に市街地のなかに聚楽第と関係していそうな高低差(崖・凹地)を見つけに行きましょう。

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●図:聚楽第周辺には高低差が集まっている!?

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●図:現代の地図で聚楽第を確認

聚楽第を探して:「北之丸北堀」を歩く

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●図:聚楽第北側の「崖」(カシミール3D地形図を編集)

では聚楽第の「遺構」を探し歩きましょう。まずは北側の「北之丸北堀」推定地から(撮影ポイントA)。智恵光院通と一条通の交差点を少し北に歩いた地点(智恵光院通一条上ル)の付近です。「カシミール3D」地形図でも、はっきり「」として高低差が浮かび上がった地点です。

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●図:撮影ポイントA(北之丸北堀)


●地図:「北之丸北堀」の高低差ポイント

一条通を智恵光院から東に入ったところを北に進むと「高低差」が現れます。現在は、マンション駐車場や町家が並ぶ路地奥となっていました。

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●写真01:聚楽第北側の「崖」を撮影(マンション駐車場)

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●写真02:北側「崖」を別角度から(路地奥)

この北側の崖は、聚楽第の「北之丸北堀」の北肩と推定される地点です。1997年に発掘調査も実施されて、地下から石垣石材が数点出土しました。

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●北之丸北堀で出土した石垣(1997年度調査)*1

今も、高さ2.5mの「崖」が約150mに渡って連なっていて、なかなか壮観な景色です。町家が並ぶ路地には、高低差を愛でるように良いしつらえの階段が設けられています。これは良い階段。

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●写真03:路地奥の高低差。ナイス階段。

※ 撮影ポイントはいずれもマンション駐車場や路地奥の地点です。来訪の際は、近くにお住まいの方にじゅうぶんに配慮してくださいね。

この北之丸北堀と推定される「崖」は比較的有名な高低差ポイントで、京都市発行のパンフレット(「聚楽第」京都市歴史散策マップ20)にも紹介されています。聚楽第ファンの間でもきっと人気ポイントでしょう。

智恵光院通に「坂道」が!?

いっぽうで気になるのは、この有名な「崖」ポイントから少し離れた西側の地点です。先ほどご紹介した「崖」ポイント(北之丸北堀)を西方向にそのまま延長させた位置に、ゆるやかな坂道が生まれているのです。

地点は「智恵光院通一条上ル」。通り名の由来ともなっている寺院「智恵光院」表門すぐ前の地点になります。よく見ると、道路を挟んで智恵光院とマンション敷地の両方に、ゆるやかで低いけれど明らかな高低差がありました(撮影ポイントB)。

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●図:撮影ポイントB(智恵光院一条上ル)

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●写真04:智恵光院通のゆるやかな坂道


ストリートビューで見てみよう

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●写真05:智恵光院の高低差

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●写真06:道路(智恵光院通)を挟んだ位置にも高低差
※ 勝手口の高さに注目すると、たしかに「ひな壇」状の高低差が生まれていることが分かります。

位置としてはちょうど、聚楽第復元案では「北之丸北堀」が南方向に向きを変える屈曲点(北西隅)に相当します。もしかして、このゆるやかな高低差も聚楽第の堀遺構かもしれません。

また智恵光院通自体も聚楽第廃城後の江戸期から通り名が登場する道路で*2、かつての城郭内を貫通するように延びています。聚楽第の廃城を前提として、旧城郭内を市街地化するための道路だったようですね。

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●図:「洛中絵図」と聚楽第を重ね合わせ(智恵光院通と旧聚楽第の位置関係に注目)

一般的に「堀」のような深さがある構築物が道路敷設などで破壊される際、堀の「肩」部分の土が堀底に向かって流れていきます。結果、遺構の破壊が住んだ際に隣接する箇所に比べて高低差の角度が緩やかになりがちです。この智恵光院通のゆるやかな高低差ポイントも同じ経緯で生まれたものでしょうか。

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●図:「洛中絵図」に聚楽第を重ね合わせ(「北之丸北堀」周辺)

浄福寺・智恵光院の南側「崖」は?

ちなみに「北之丸北堀」地点と智恵光院通を挟んだ反対側(西側)にも、浄福寺と智恵光院の南側に「崖」のような連続する高低差をカシミール3D地形図で確認できました。

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●図:浄福寺・智恵光院の南側にある「崖」

おそらくこの「崖」の正体は、聚楽第に関係する遺構というよりも智恵光院と浄福寺の両寺院が聚楽第廃城後に現地点へ移転する際(元和年間・17世紀初頭)、整地された「ひな壇」状地形ではないかと思います。

これはこれで江戸前期の大規模な地形改変の遺構として興味深いですが、聚楽第の遺構そのものではなさそうだということで。

一般的に、京都の市街地は元々の地形(原地形)が北から南へと傾斜しています。とくに今回ご紹介の聚楽第周辺は原地形の傾斜が強く出ていて、何か大規模な平坦地(平安宮・聚楽第・寺社など)を作り出そうとすると「ひな壇」状の整地が必要となってきます。

浄福寺・智恵光院の南側「崖」も、こうした整地作業の遺構として考えると聚楽第とはまた別の意味で価値が増してきそうです。京都の高低差を探索するうえで、「ひな壇」状の地形はキーポイントですね。

北之丸北堀について現地確認の整理

ここでいったん、「北之丸北堀」の地点について整理しましょう。

  • 堀「北肩」に沿って、高さ約2.5mの「崖」が約150mにわたって連なっている。
  • 智恵光院通のゆるやかな高低差は、聚楽第の遺構かもしれない。
  • 浄福寺・智恵光院の南側に連なる高低差は、寺院移転の際の「ひな壇」状整地(17世紀初頭)の名残りだろう。

市街地のなかに唐突に現れる高低差は、独特の存在感を放っているかのようです。平坦部が多い京都の市街地にあって、まるで秘密の場所を探り当てたかのような、そんな緊張感や興奮を私たちに与えてくれます。「ひな壇」状地形を要チェックです!

では続いて、また異なる地点で「遺構」とされる場所に向かうことにしましょう。そちらも市街地のなかに唐突に高低差が現れるポイントです。どうぞお楽しみに。(以下PART3に続く)

*1:「聚楽第」京都市歴史散策マップ20より転載

*2:『角川日本地名辞典』より

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