@chang_umeです。先日、京都市伏見区の「向島城」の遺構探索フィールドワークに崖会員数名で行ってきました。天下人・豊臣秀吉が築造した城に関わらず、向島城は存在が非常にマイナーで以前からとても気になっていたのです。いわゆる「残ってない」扱いをされやすい城ですね。
向島城とは
向島城は、豊臣秀吉が通称「指月(しげつ)の岡」(現・京都市伏見区桃山町泰長老)に築いた伏見城(指月城)の支城として、宇治川を隔てた南側に築かれました。
この城は、文禄3年(1594)の冬または翌年の春には着工したと考えられ、伏見城との間に流れる宇治川には豊後橋(現・観月橋)が架けられていました。
しかし、文禄4年の大雨によって洪水の直撃を受け、さらに再建工事中に慶長の大地震にあって崩壊しました。その後秀吉が再建し、秀吉の没後は家康の一時的な居城となったこともありました。
現在向島城の跡地には民家が立ち並んでおり、わずかに「向島本丸町」「向島二ノ丸町」等の地名に痕跡をとどめるのみとなっています。
豊臣秀吉の造った向島城(むかいじまじょう)について書かれた資料を知りたい。(レファレンス協同データベース)
●地図:向島城の位置
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