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京都高低差崖会

京都高低差崖会は京都の凸凹地形を探索しています。平地ではいられなかった、高低差が生まれてしまった、京都ならではの「まちの物語」「土地の記憶」を読み解いていきます!

木幡駅から延びる巨大築堤:「引込み線」の遺構

キティ川です。以前から京阪宇治線に乗車する度、気になっていた土手がありました。「カシミール3D」で作業していた所その土手が連続したものであり、また戦時中に敷設された鉄道の引込み線の為の築堤であることが分かりました。

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●引込み線築堤の遺構(カシミール3D地形図)
※ 赤色矢印の箇所が高低差の連続となっています。

この路線は明治39年に完成した宇治火薬製造所分工場への引込み線として、昭和15年に工事を開始し昭和16年に完成しました。当時の火薬需要増加による資材輸送に使用されていたそうです。宇治川沿いに火薬製造所が設置された理由は、元々火薬庫があった為や人口密集地から距離があること、何より水運を利用できることにあります。

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●地図上にかつての「引込み線」を復元
※ 地図中「紫色」の範囲が、アジア・太平洋戦争の終戦時に宇治火薬製造所分工場だった場所です。

昔、火薬製造所があった!

分工場内がどのような配置となっていたのか、昭和初期の地図ではありますが入手できたので参考までに記載します。舟入もあったようで、ここが現在も高低差として残されていないか調査中です。

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●昭和2年時の分工場図。舟入もあった。
許波多こはた神社の管理をされているご夫婦に伺った所、今回ご紹介の引込み線は戦後しばらく物資輸送に使用されていたようで、軌条自体も昭和50年代まで残されていたそうです。昭和38年の地図にも線路表記がされていました。
 
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●昭和38年の宇治市地図

木幡駅構内の跨線橋から六地蔵駅方面を望むと待避線を見ることが出来ますが、この待避線の辺りが昔は引込線との分岐点となっていたようです。

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●本線から左に待避線が延びる

引き込み線跡を歩く!

今現在、引込み線跡は前半が緑道となっています。せっかくなので実際に現地を歩いてみましょう。歩く方向は南東から北西にかけて、引き込み線跡に沿ってカーブを描きながら歩きます。

●航空写真:京阪木幡駅近くの引き込み線跡 (三日月状のグリーンベルト
 
引込み線は大規模な築堤事業でもあったため、今でも周囲の低地部との間には高低差がよく残っています。
 
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 ●引き込み線跡の緑道:堤防状によく残っています

また、許波多神社境内をはじめこの廃線跡に沿って歩くと、「陸軍用地」と彫られた境界標を20本以上も見ることが出来ます。

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廃線跡に見られる境界標:「陸軍」の文字が!

引き込み線跡の緑道をしばらく歩くと、かつての軌道が方向を西へ変えるタイミングで視界が開けて、築堤の高低差をより感じることができるポイントに出ます。

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●緑道を抜けると、民家程の高さの築堤が現れた!
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 ●かつての構造物もしっかり残っています。
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 ●引き込み線跡の開口部。「御土居」の姿に似ています。
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 ●引き込み線跡の遺構は規模が大きい!

ちなみに戦時中、宇治火薬製造所へ電力を供給する為に昼間の5〜6時間は電気が止められていたそうで、京阪宇治線も運行をストップせざるを得なかったとのことです。また当時は蒸気機関車で貨物を運んでいた為に、築堤上を走るたび木幡の空を黒い煤煙で覆い隠したようです。

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 ●引き込み線跡の下部を現役の京阪線が通過!

引き込み線の終発着点だった「宇治火薬製造所分工場」の付近には現在、パナソニックの工場がありますが、その工場の北側に出ると引き込み線跡の築堤遺構は無くなって平坦部を道路が走る状態となっていました。

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 ●平坦となった引き込み線跡

引込み線はなぜ築堤だったのか?

なぜこのように高い築堤を造設したのか。この周辺地域の土地が低く山科川の氾濫等水害が多い為や途中の京阪宇治線と交差する地点がある為、引込み線のスタートとなっている木幡駅自体が元々土地の高い場所であった為にそれに合わせたのでないかと考えられます。

高低差を軸にblogを書きましたので廃線跡のみの記事となりましたが、この宇治火薬製造所については関係遺構がまだまだたくさん残されています。非常に面白い地域ですので、皆さんも古地図片手に散策してみてください。(北川)

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